「即れる子を即る」のと「即れない子を即る」のちがい

申し訳ありません、まずはじめに謝罪からです。

本来、題目にある「即れる」「即れない」的なお話しは、ナンパブログを運営してるクセに何言ってるの?と思われてしまいますが、あまり好きではありません。

どうしても

「女性をやるための道具」

的な価値観が垣間見えるからです。

「ナンパごとき」

と思うのも、

「ナンパだとしても」

と思うのも人それぞれなので、

一概に否定してはいけないのですが、どうも性に合わないようです。

ただ、なぜこのお話しをするかというとナンパ界隈で、

「1ヶ月何人即れました」

「この方法を実践すれば即れます」

という情報が溢れているので、ひとこと補足させて頂きます。

まずシンプルに

「即れる子は即られている」

という事実です。

「即れた」という話しを聞くと、その事柄に対して

「うらやましいな、自分も即りたい」

と思ってしまうのですが、

「どんな女性を即ったか」という情報はあまりオープンにされていません。

というか、このご時世、不特定多数への拡散を考えたら当たり前なのですが、情報開示することはリスクです。

相手との同意があったとしても、一生残ってしまう可能性があるので危険でしかありません。

また信憑性に関しても、

「文字だけであれば嘘っぽい」

「画像がついていたらほんとっぽいけど、いくらでも他から流用できる」

というように、うそでもほんとでも当人以外は真実がはっきりわからないのです。

もちろんリアルに運営している方もたくさんいると思います。

ただまがいものがたくさんあるのも事実です。

やはり判断は自分自身でしていくしかありません。

そして、「即れる子」=「即りやすい子」はナンパ師からすれば接点を持ちやすい子です。

要するに

「即れる子は即られやすいから難易度が低い」

という理屈です。

(文章力がなくお恥ずかしいのですが、難易度という言葉もあまりよくないですね)

という意味でナンパ師は声かけがたくさんできるので、即れる子と遭遇する可能性がふつうのひとよりも圧倒的に高いのです。

逆に「即れない子」もいるわけで、「即れない子を即れた」方がナンパ師としての腕前を感じます。

ただこれも「即られない子を即った」とナンパ師が言っても、これもまた当事者しか真実はわからないのでご注意ください。

なにが言いたいというと、

本当にナンパ師の腕前があるひとは

何人即ったかではなく

「即れない子を即れたか」

なのです。

ただわたしの経験上、このケースの場合は腕前ではなく

「運命」に近いのではないかと思います。

なので大切にしなければいけない貴重な出会いのひとつなのです。

声かけは

「質より量」

即れるかは

「量より質」

と言ったらよいのでしょうか。

とにかく「即れた」に一喜一憂せず、即れると女性を下に見てしまう傾向があり、その即れるという強い魔力に引っ張られて、それだけに囚われないことが大切です。

即れる呪縛にハマってしまうと

たとえナンパだとしても

「運命のひと」

と出会うことができたのに

「大事なことを見失い」

「あっさりスルー」

なんてことになるかもしれません。

最後に、情報化社会により嘘かまことは自分で判断しなければいけない時代となっています。

わたしのブログも真実を語っているつもりですが、それを判断するのは個人個人です。

だれかのマネをしてもあなたに合うかどうかはわかりません。

やはり、「自分はどうしたいか」が重要であり、なにを参考にすべきか慎重に判断していく必要があります。

少しでも客観的な判断をお手伝いできるよう、失礼ながらお伝えさせて頂きました。